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みずくら






















みずくら


 水 枕  







 プカン・プカンの 貸し出した水枕 天然氷の水枕 隣で借りた水枕 丸太棒の水枕 水枕していたい 
 守護神の水枕 友達の家の水枕 初恋を呼ぶ水枕 弟に作った水枕 よく鳴る水枕 命あるよな水枕 
 ゲップをする水枕 初月給の水枕 地震計の水枕 緋鯉の様な水枕 ゴム印の水枕 水枕の余韻 
 出張の供の水枕 独占欲と水枕 麻疹で残念水枕 罰をもらった水枕 咳して笑う水枕 水枕現象の思い出 
 妻が諦めた水枕 ウォーターベッド+水枕 更なる水枕感覚 新しい型の水枕 我が理想の水枕 テストした水枕 
(追加版) 水 枕
 二階増築と水枕 夢で見る水枕 水枕交換の思い出 独り鳴り出す水枕 「さんふらわあ」の水枕 西東三鬼の水枕 
目 次 みずくら 使用法 保存法 Q&A
















  



「プカン・プカン 水 枕 


私が小学校に上がる前の事です。母親が「8度5分も熱がある」と言って私を寝かせました。
私は、何故熱が出たのかは覚えていません。
母親は、 水 枕 を嫌がる私に、「 水 枕 をすれば熱が下がるから・・・」と無理やり
 水 枕 をさせました。
私が泣きながら、 水 枕 へ頭を乗せていました。
しばらくすると、 水 枕 は独りでプカン・プカンと音を立てて鳴るのでした。
私は、自分が動かないで静にしているのに、 水 枕 が勝手に鳴るのが不思議でした。
母親に、「どうして 水 枕 が独りで鳴るの?」と尋ねました。
母親がどのような返事をしてくれたのかは覚えていません。
しばらくして、母親は暖かくなった 水 枕 の水を換えてくれました。
母親が変えてくれた 水 枕 は、今度は幾ら待っても鳴りませんでした。
私は、母親に「 水 枕 が鳴るようにして・・・」と、無理を言いました。
私は熱が下がってからも、プカン・プカンと独りで鳴る 水 枕 がしたくて、
「 プカン・プカン鳴る 水 枕 がしたい」と 水 枕 を欲しがり、
母に「 水 枕 は熱がある時使うもの」と、断られると泣いてお願いした事を覚えています。

これは、私が覚えている「一番古い 水 枕 の思い出」です。

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「 隣した 水 枕 


私は小学生の頃、しょっちゅう扁桃腺を腫らしたり原因不明の高い熱を出していました。
我が家の 水 枕 は、何時も私専用の存在だったのです。
ある時、隣の小父さんが熱を出したので、その 水 枕 を貸して上げる事になりました。
終戦直後の事、隣では 水 枕 など使った事がなかった様子で、 水 枕 の使い方をご存知なかった様です。
母は、隣の小母さんに 水 枕 の使い方を説明していました。
隣の小母さんは説明を聞いて 水 枕 を持って帰りました。
しばらくして、母と私は隣の小父さんを見舞いに行きました。
そして、小父さんが 水 枕 をしている様子を見たのでした。
 水 枕 を枕として使わず、氷嚢の様に使っていたのだ。
その使い方は、 水 枕 の水口の穴あきフックに紐を通し、紐の一方を天井に引っ掛け 水 枕 を
天井から吊るすようにして、小父さんの額へ 水 枕 を乗せていたのでした。
私は、その時の様子を今でもはっきり覚えています。
母は、小父さんは「あんなタプ・タプしたものを枕に出来ない」と言って氷嚢の様に使ったのだ。
と私に話してくれました。

母は、 水 枕 の正しい使い方を教えて上げた事は言うまでもありません。

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「 天然氷 水 枕 

私は、小学校五年生まで、県東部の田舎集落で暮らしていました。
そして、しょっちゅう扁桃腺炎や原因不明の熱を出して学校はを休んでいました。
母は、その度に、夏は、汲み立ての冷たい井戸水で、冬は外の桶に汲み置きした氷の張るような
冷たい水で、 水 枕 を作って私の頭を冷やしてくれました。
冬になって、外の桶に汲み置きした水に氷が張ると、その氷を割って 水 枕 に入れ作ってくれました。
天然の氷が薄い時には、 水 枕 の中で薄い氷が擦れ合って「カサ・カサ」と独特の音を出します。
しかし、天然の氷は何時もは出来ません。
私は、氷の独特の音を期待して氷が張るのを心待ちにしていました。
小学校中学年になると 水 枕 の甘美で心地いい感触が忘れられず、 水 枕 虜になって、
普段でも 水 枕 の事が忘れられないようになってしまいました。
・・・・・・・・・・

私は、それから今までの60年もの長い間、殆ど毎晩 水 枕 を使って就寝しているのです。

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「 隣りる 水 枕 

前述のように、私は小学校低学年の頃から中学卒業頃まで、しょっちゅう扁桃腺炎や原因不明の高い熱を
出して学校を休んでいました。
小学校高学年の頃までは、熱を出すと自宅の 水 枕 を使っていましたが、その内に、 水 枕 が壊れて
水漏れを起すようになってしまいました。
自宅の 水 枕 は、「貼り合せ式の 水 枕 」だったので、 水 枕 の貼り合せ部分の
ゴム糊が剥がれて、そこから水が漏れてしまうのでした。
修理をしてもすぐ水漏れを起すので 水 枕 は捨てられる事になってしまいました。
私は寂しくて 水 枕 に付いて行きたい気持ちでした。
そして、母親に「修理して残して置いて・・・」と、泣いてお願いした事を覚えています。
当時、我が家は貧乏で 水 枕 を買い替える事は出来ませんでした。
そのため、私が高い熱を出すと、母は、隣で 水 枕 を借りては私の頭を冷やしてくれたのです。
しかし、38度以下の熱では水で湿した手ぬぐいを額に当てて「この程度の熱では、
これで我慢しなさい」と、 水 枕 を借りてはくれません。
そのような時の私は、もう 水 枕 を当てたくて、当てたくて、頭の中は 水 枕 の事で一杯、
悶々として寝ているのでした。
ある時私は、体温計を手で擦ると水銀柱が上がる事を知りました。
そして38度以下の時は、水銀溜めを擦って指示を38度以上にすると「隣から 水 枕 を借りて来て」と
母に懇願するのでした。
そして、母が隣で借りて来る 水 枕 を、今か今かと首を長くして待っていました。
その待つ時間の何と長い事か・・・、今でもその時の事をよく覚えています。

思い出せば、あの頃、そのような罪な事を何回か犯しています。
今になって思えば、母はその事を知りながら、隣で 水 枕 を借りて来てくれていたのだと思います。

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「 来客えてくれた 水 枕 

私が中学生の頃、私が高い熱を出した時の事です。
何時もの様に、隣で 水 枕 を借りていた時の思い出です。
私の父は、暇があれば自宅に囲碁友達を連れて来て囲碁を打っていました。
私が 水 枕 で休んでいると、Yさんと言う囲碁友達が我が家を訪れ私を見舞ってくれました。
私が 水 枕 をしているのを見ると、Yさんは「 水 枕 の水を換えてあげよう」と、
未だ幾分冷たい 水 枕 を取って、水を換えてくれるのでした。
持って来てくれた 水 枕 を見て、私はびっくりしました。
それは、ほんの少しの水に、中で「チャプチャプ」水が踊る、空気が一杯に入った空気枕の様な
 水 枕 だったのです。
二つ折りにした座布団の上に、その 水 枕 を置くと、まるで丸太を横にした有様です。
そのままでは、枕が高く「コロ・コロ」て寝られません。
私は、 水 枕 の空気を出すため注意深くクリップを開け掛けました。
 水 枕 は、「プフゥ−−」と大きな溜息の様な音を出して、薄っぺらになってしまいました。
頭を乗せると、 水 枕 の底に頭が届いて板のような感覚でした。
私は、改めてクリップを開ける空気を少し入れて、ふっくらした 水 枕 に戻したのです。
 水 枕 は、空気の入り具合がちょうど良かったのか、私が静かに休んでいても、
 水 枕 は、「プカン・プカン」と可愛い音を立てて良く鳴ってくれ嬉しかった事を覚えています。

私はその時改めて、程良く鳴る 水 枕 の水と空気の加減を知りました。
父の来客が作ってくれた、印象深い空気一杯の 水 枕 の思い出です。

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 水 枕 口 実 」

扁桃腺を腫らして休むのは、大方三日から四日位でした。
この内、38度以上に熱が上がるのは、大体発病後二日位まででした。
夕方計った体温計が37度を下回ると、母親から「 水 枕 を外しなさい!」と声が掛かります。
実際私の場合、体温が37度5分までの微熱ですと、氷の入った冷たい 水 枕 を当てていると、
5分も経たない内に 水 枕 に当たっている部分が冷たさで苦痛を伴い耐えられなくなるのです。
しかし、氷が解けて程よい冷たさの「タプタプ感」豊富な 水 枕 は、氷の触れ合う音がなくなり、
いい水音で鳴ってくれ、水の豊かな浮遊感が増して大変心地よく、何時までも 水 枕 に頭を
乗せていたい気持ちなのです。
熱が下がると、母親から「熱が下がったら 水 枕 を外しなさい!!」と命令が下ります。
熱が下がって扁桃腺炎が癒え、早く学校へ行きたいけれども 水 枕 が名残惜しい。
布団の中で、心の葛藤が始まるのです。

 水 枕 を外せば、 水 枕 は取上げられ隣に返されて、当分の間 水 枕 とはお別れ。
それはとても寂しい事なのです。
「如何にして、もう暫く、 水 枕 を取上げられずに済ますか」一生懸命、 水 枕 獲得の
口実を考えるのでした。

思い付いた口実は、「未だ頭痛がして堪らない・・・」でした。
そして、「 水 枕 を当てていれば、頭痛が楽だ・・・」と、水だけの 水 枕 を所望する。
こうして、熱が下がっても後一日二日 水 枕 を楽しむ事が出来るのでした。

しかし、その一日二日は直ぐに終ってしまいます。
そして、これ以上の口実の効かなくなった時、 水 枕 とのお別れが待っているのでした。

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「 守護神 水 枕 

扁桃腺を患って高熱を出し、憧れの 水 枕 に頭を乗せて嬉しい事ばかりではありませんでした。
扁桃腺が腫れて最初に熱が出た夜には、決まって「怖い夢」にうなされるのでした。
それは、見る度に同じ様な夢なのですが、得たいの知れない怖い夢だったのです。
私は、その夢にうなされ目覚めると、汗びっしょりになって 水 枕 に「 水 枕 さん助けて」と
しがみ付きます。
すると、 水 枕 は「プカン・プカン」と大きな音を立てて鳴って私を慰めてくれるのです。
しばらく、 水 枕 にしがみ付き 水 枕 を揺らして水の音を聴いていると気分が落ち着くのです。
 水 枕 にしがみ付いていると、母親に触っている様な安心な気持ちになるのです。

私にとって 水 枕 は第二の母親、正に「守護神」的な実に頼もしい存在だったのです。
私は、熱を出すと、「 水 枕 が私を助けてくれる・・・」と 水 枕 を信じ、自分に言い聞かせ、
熱が出た夜には、 水 枕 にすがり着いて眠ていました。

中学校三年生の頃から、自然に「怖い夢」は見なくなり、その事は忘れてしまいました。

しかし、反面 水 枕 の事は忘れられず、 水 枕 への思慕は募るばかりでした。

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「 友達 水 枕 

私が確か小学校6年生の時の事だったと思います。
小学校のラジオ・クラブに入っている同級生のA君に誘われて、
A君のお宅へ遊びに行く事になりました。
A君の家は、お父さんが市役所に務めておられる裕福な家庭でした。
友達のお宅でしばらくの間遊んでいましたが、おやつをご馳走になる事になって、
A君のお母さんに手洗いを勧められ洗面所に向かいました。
洗面所に入ると、片隅に 水 枕 が逆さに吊下げられ干されてあったのです。
それは、隣で何時も借りる 水 枕 と同じ 水 枕 だったのです。
我が家にはない、しかし何時も頭にはある 水 枕 が目の前にある。
 水 枕 を見ると、私の胸は「ドキ・ドキ」高鳴るのでした。
私は、その 水 枕 に触れて見たくなり、誰も居ない事を確認すると、
ぶら下がっている 水 枕 に近寄ってそっと頬を寄せて見ました。
 水 枕 の感触が「ヒヤッと」冷たかったのを覚えています。
私は嬉しかったのです。
手を洗って洗面所を出るとき、もう一度 水 枕 に頬を寄せたのです。
水が入っていない 水 枕 は、肌に冷たく、ペロンとした感触でゴムの香がしました。
私は、隣で借りる 水 枕 のゴムの香を思い出しました。
洗面所の戸を閉めるとき、 水 枕 を振り返りました
逆さに吊下げられた 水 枕 は、ゆっくりと揺れていました。

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「 初恋 水 枕 

小学校6学年になると、「家庭科」の授業が始まりました。
「家庭科」では、料理・縫い物・掃除・看病など家庭一般の基礎的な事を教わります。
「家庭科」の教科書を見ると「 水 枕 の作り方」の項目があり、
 水 枕 を作っている写真が載っていました。
私は、その「 水 枕 の作り方」のページの写真を見ては胸を時めかせ、
何時授業が始まるのか気掛かりで仕方がありませんでした。
そして、2学期のある日待ちに待った 水 枕 作りの授業が訪れたのです。
私は、その前日の夜、興奮して眠れませんでした。
家庭科の先生は、教室に 水 枕 とバケツに入った水を持って来て
教壇で「 水 枕 作り」を実演して見せました。
 水 枕 は、何時も隣で借りている 水 枕 と同じものでした。
私の胸は高鳴り、手のひらに汗が滲みました。
我々児童は、何班かに分かれ、順番にバケツの水で「 水 枕 作り」の練習を始めました。
先生から、 水 枕 の空気を抜く方法やクリップの閉じ方を教わりました。
私は、空気があった方が 水 枕 がよく鳴って「 水 枕 らしいのに」と考えていました。
私と同じ班になった女の子のIさんは、私に丁寧に 水 枕 作りを手伝ってくれました。
Iさんは、私が以前から何となく気になっていた、丸顔で小柄な可愛い女の子です。
私は、それ以来、Iさんの顔と 水 枕 が重なってIさんが好きになってしまいました。

私が好きになった初めての女の子、それはIさんなのです。
私に淡い初恋の こころ を贈ってくれた、「家庭科」の 水 枕 、
その 水 枕 が、教壇の机の上で元気良くタプ・タプ揺れていた姿が目に浮びます。

・・・・・・・・・・

Iさんは、私とは別の付属中学校へ行って仕舞ったので、その後の付き合いはありませんでした。
しかし、その後、しばらくの間、私は 水 枕 のお世話になる度に、Iさんの姿を思い出すのでした。

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「弟ってげた 水 枕 

私には、ひとつ年下の弟がいます。
その弟は、小学生高学年の頃、蕁麻疹を出しては高い熱を出していました。
母は勤めに出ていたので、日中の看病は学校から帰った兄の私まかされていたのです。
その一番の仕事は、 水 枕 の水の交換でした。
我が家は貧乏だったので氷は買えません。
隣から借りて来た 水 枕 に水道の水を入れただけの 水 枕 、
私は、自分好みの 水 枕 になる様、少な目の水に 水 枕 に少しの空気を残して作ってやりました。
その 水 枕 は、弟が寝返りを打つと、「プカン・プカン」と音を立てて鳴るのでした。
私は、弟が気に入るに違いないと思って、弟の様子を見ていました。
ところが、弟は、「  水 枕 が鳴って気持ちが悪い、作り変えてくれ 」 と言うのです。
弟は、私とは違って水の音を立てて鳴る 水 枕 は好きではなかったのです。
同じ兄弟でも 水 枕 の好みは違うのだと、子供心に思いました。

その後も、弟は全く 水 枕 には無関心の様でした。

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「 鳴 水 枕 よい 水 枕 った小父さん

私が小学校6年生の時です。
何時も 水 枕 を貸してもらっている、隣の小母さんが病気になってしまいました。
私と母は、小母さんを見舞いに行きました。
私の目は、一番に小母さんが当てている 水 枕 へ向いました。
小母さんは、「熱がなかなか下がらなくて辛い。
 水 枕 はプカン・プカン言うだけで熱を下げてくれない・・・」などと、
私の母に話していました。
小母さんが話をする度に、 水 枕 はフックを「プル・プル」と震わせていました。

私は、 水 枕 が何時音を立てるかと耳をそばだてていました。
すると、傍に居たその家の小父さんが、
「 水 枕 は、プカン・プカン音がするところがいいのにネェ ・・・」と言って笑ったのです。
それを聞いた私は、
 水 枕 は、やはり、「プカン・プカン」鳴る様に作らなければならないのだ、と
妙に納得して帰ったのでした。

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 水 枕 には がある

私は、今まで記していたた様に、小・中学生の頃には、
しょっちゅう扁桃腺炎や原因不明の高い熱で、何時も 水 枕 のお世話になっていました。
私にとって、 水 枕 は自分のためにある様な大変身近な存在だったのです。
熱が出て 水 枕 に頭を乗せていれば安心なのです。
そして、何時しか 水 枕 は私の友達の様な存在になっていたのです。
健康な時は 水 枕 が恋しくて、何時も 水 枕 の事を考えている。
小・中・高時代はそんな日々を送っていました。
私は、そのように 水 枕 には大変独特な感覚を持っていた様なのです。
それは、「 水 枕 にも命がある・・・」と言った感覚でした。
 水 枕 に頭を乗せた私が、少し動けば 水 枕 は「プル・プル」と大袈裟に動くし、
 水 枕 は、私が静に眠っていても、独り「プカン・プカン」鳴り始めます。
 水 枕 の「ひとつ目フック」は、恰も 水 枕 の目に見えます。
弾力性があって柔らかく、抱えればタプ・タプと中の水が動き回ります。
揺らしても、押え付けても、したたかに充実感のあるリアクションを返して来ます。
 水 枕 は、命のない「無機質な物」にはどうしても思えないのです。
私は、 水 枕 を命のあるものとして見ていました。

70歳前になった今でも、その思いをずっと引きずっていて、
擬人化して 水 枕 を見て仕舞っている様です。

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「 ゲップをする 水 枕 

私は、子供の頃本当によく熱を出していました。
母に作ってもらう 水 枕 は、正に「守護神的存在」だったのです。
母は、私が 水 枕 の浮遊感と水の音が好きな事をよく知っていました。
そして、母は私が喜ぶように 水 枕 が良く鳴る様、空気を少し残して作ってくれていました。
しかし、時に 水 枕 に空気が残り過ぎて、上手く鳴らない事がありました。
そんな時には、私は締め金具を注意深く開いて空気を少し抜いて見るのでした。
空気が多めに残っている時、私が 水 枕 の締め金具を開くと、
 水 枕 は、「プフゥ−・・・」と大きな溜息を吐く様な音を出して空気を吐き出し、
「タプ・タプ」と 水 枕 の身体を揺らすのです。

 水 枕 は、自ら空気を吐いて「ゲップ」をする様な素振りを見せるのでした。
私は、その様な 水 枕 を見て、思わず 水 枕 ゲップ をした と口走った事があります。
正に 水 枕 は、空気を一杯吸い込んで満腹だったのでしょう。

私は、 水 枕 のゲップに生き物の姿を見たのでした。

・・・・・・・・・・

私は、前述のように、70歳前の今でも 水 枕 を擬人化して見ているのです。

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「初月給My 水 枕 

私は、高校へ入って、急に丈夫な身体になりました。
それからは、ほとんど熱を出す事はありませんでした。
しかし、 水 枕 は、私の心から決して離れようとしません。
 水 枕 が出来なくなって、益々 水 枕 への思いは増すばかりでした。
3年間の高校生活、高校卒業、就職、そして初月給。
その頃の我が家は貧乏のどん底で、ひとつ年下の弟は高校3年生、その学費もままならない状態でした。
買い揃えたい物は幾らでもあったのです。
しかし、私には、どうしても欲しいものがひとつありました。
それは、我が家にはなく私のこころに何時も存在する 水 枕 でした。
私の初月給でどうしても 水 枕 を買いたかったのです。
しかし、親元から通勤している身、親に内緒で 水 枕 を購入する訳には行きません。
考えた末、私には普段から疲れると強い頭痛がする癖があったので、
口に出し難くかったのですが、それを口実に、両親の了承を得て 水 枕 を購入する事にしました。
当時、 水 枕 は他の品物に比べ大変高価でした。
私の初任給手取り1万円に対して、ダンロップ 水 枕 は700円前後だったと記憶しています。
両親に「頭痛を解消して安眠のため 水 枕 を買いたい」と説得、憧れの My 水 枕 を
買う事が出来たのです。
私は、憧れの 水 枕 の快感を独占出来て本当に嬉く幸せでした。
初めて、 My 水 枕 を使って就寝した夜、今まで忘れていた可愛いI さんの顔が瞼に浮びました。

私は毎晩、自分だけの  My 水 枕 に水道の水を入れて眠りました。

・・・・・・・・・・

初月給では、この他、専門書「無線技術ハンドブック」(定価1千円)を購入、
自転車とスーツの月賦などを支払うと、残りは僅かしか残りませんでした。
高校3年生の弟にお使いを上げたかどうかは忘れてしまって定かではありません。

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「 地震計 水 枕 

私は、しょっちゅう熱を出して 水 枕 で休んでいたものですから
 水 枕 を当てて休んでいる時に地震に出会う事もありました。
私が小学校の6年生の時、 水 枕 を当てていて強い地震に出会いました。
その時、私は、地震で本当に地面が動いている事を実感したのです。
地震の揺れで、私が当てている 水 枕 が「タプ・タプ」と音を立てて揺れるのでした。
それから、何回か、その様な経験がありました。
そして、社会人になって毎晩My 水 枕 を当てて眠る様になってからも、
何回か、 水 枕 の上で地震の揺れを経験しました。
その内に、地震で揺れる 水 枕 の揺れる程度で、地震の震度が推定出来る事を知りました。

 そして、H・A大震災 

私は、平成7年「H・A大震災」発生の時、O・H市の世帯寮に住んでいて震度5の地震に遭遇したのです。
実際の揺れは今で言う「震度5+」程度だったと思います。

平成7年1月17日未明、5階建て世帯寮の1階で、 水 枕 を当ててまどろんでいた私は、
突然の大きな揺れに叩き起され、寝床の脇に立ち上がりました。
寝床の 水 枕 を見ると、独り「タプン・タプン」と大きな水音を立て、
水口のひとつ目フックを大きく振らしながら、 水 枕 全体を強く波立たせ揺れています。
それは、 水 枕 が独りで大きく揺れ動く珍しい姿だった。
地震が治まって、マンション・ベランダの窓を開け周囲を眺めると、未だ暗い街並みが、
何事もなかったかの様に妙に静かで「シラケ」た感じだったのが印象的でした。

・・・・・・・・・・

私は、震度5の地震で大きく水音を立てて揺れ動く 水 枕 を見ました。

私はこの目で、地震計の様に大きく揺れ動く 水 枕 を見たのです。

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「 緋鯉 水 枕 

私は、小学校5年生1学期まで県東部の田舎の集落に住んでいました。
我々5年生の担任の先生は水泳の得意な先生で、夏には希望する児童を連れて我が県三大河川「Y川」で
水泳の練習をさせていました。
私は、父親に水泳で身体を鍛える事を勧められ、水泳の練習に「Y川」へ通いました。

私がO市の小学校へ転校する直前の5年生の夏休み前、水泳に通う男の子有志は担任の先生に連れられ、
何時もの「Y川」へ水泳の練習に行きました。
その日は、参加した男の子の一人が「浮き輪」の代りに 水 枕 を持って来ていました。
その子は、 水 枕 のひとつ目フックに紐を付け浮き輪にして泳いでいました。
私の家の 水 枕 は、壊れて捨てられてしまった直後だったので、 水 枕 は、私の目にとても
眩しく羨ましく写りました。
紐に引っ張られ、流れを泳いでいる 水 枕 の姿を見ると、身体を左右に振って緋鯉が泳ぐ姿にそっくり、
まるで 水 枕 が緋鯉になって泳いでいる様でした。
私は、しばらくの間、水に泳ぐ 水 枕 を「まるで鯉の様だ」と見入っていました。
そして、私は、「 水 枕 には鯉の様に命があるのかも知れない」と思うのでした。

・・・・・・・・・・

水泳の練習をしている間も、その男の子の 水 枕 が気になって仕方がありませんでした。
当然、その日の練習には身が入らなかった事は言うまでもありません。

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「 ゴム印 になった 水 枕 

私が、社会人になってしばらくしてからの思い出です。
仕事の帰り、同僚と居酒屋で酒を飲み交わしスナックに寄っていい気持ちになって家に帰る。
時間は、午前零時をとっくに回っています。
明日の勤務に備えて、冷蔵庫から氷を出し冷たい 水 枕 を作り早々に就寝します。
アルコールで火照った頬に、 水 枕 の冷たさと浮遊感が心地いいのです。
仰向けになって瞼を瞑ると、酒が回って麻痺した平衡神経が宇宙遊泳の感覚を誘います。
 水 枕 の浮遊感が無重力感を生む甘美で至福な時間です。
そして、何時の間にか深い眠りに入ってしまいます。

・・・・・・・・・・

翌朝出勤前、未だ少し酔いの残った感覚の面持ちで洗面所の鏡を見ると、何と、赤らんだ頬に、
 水 枕 のゴムの「矢羽根」模様がスタンプで押した様に頬に残っているではありませんか?
「どうしよう?」緊張して、一度に酔いが醒めたようでした。
 水 枕 の「矢羽根」模様がゴム印になって、肌に跡が付いたのです。
熱いお湯を浸したタオルを搾って頬に当てて見ました。
何回か繰り返したが余り効果は現れません。
時間がないので諦めて出勤するより他に方法はありませんでした。
出勤して、一番に職場の洗面所の鏡を覗いた事は言うまでもありません。
「矢羽根」のマークは自分では分かるが、初めて見る人には分からない程度に消えていました。
私は、ホッと胸を撫で下ろしました。
職場の上役、同僚、OLさんには何も言われませんでした。

しかし、その事に誰からも気付かれなく無視された事が、
何故か、少しだけ私を寂しい気持ちにさせた事も事実だった様でした。

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 水 枕 余韻 」

私が、小学校6年生の時の思い出です。
私が扁桃腺炎で高い熱を出すと、何時もの様に母は隣から 水 枕 を借りて、
私の頭を冷やしてくれました。
しかし、扁桃腺の熱が下がれば、 水 枕 とのお別れが待っています。
母に「未だ頭痛が残る」と口実を言って、 水 枕 の使用を伸ばしても
伸ばせるのはせいぜい一日か二日が関の山です。
やがて、 水 枕 とのお別れの時がやって来ます。
付いて行きたい気持ちの 水 枕 を、座布団二つ折りの下枕ごと枕元にずらせ、脇に置いてあった、
普段の「ソバ殻枕」に置き換えて頭を乗せます。
私の耳元には今まで当てていた 水 枕 の「フワ・フワ」した余韻が残っていて、
しばらくの間、「ソバ枕」なのに 水 枕 を当てているような不思議な感覚がありました。
しかし、今は、耳元を動かしても、 水 枕 の浮遊感のある「タップン」としたリアクションと
水の音は何処にもありません。
そこには、決して揺れる事のない「ソバ殻枕」の「コチン」とした固い感触があるだけだったのです。

私は、物足りなく寂しい気持ちで一杯になって、枕元にずらして置いてある 水 枕 を眺めると、
そっと 水 枕 を手で触り揺らして見ました。
 水 枕 は、「タプン」と可愛い水の音を立て「タプ・タプ」揺れるのでした。
しばらくして、母は 水 枕 を持って行ってしまいました。
私は、 水 枕 に付いて行きた気持ちで一杯でした。

炊事場からクリップを開く音が「キ・キ・キ・キ」として、水を捨てる音が聴こえました。

既に半世紀以上も昔の事ながら、
その時の「ソバ殻枕」のコチンとした固い感触と、 水 枕 のクリップが開けられ軋んだ音が
寂しく私の耳に聴えた事が今でも鮮明に思い出されます。

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「 出張お供 水 枕 

今から50年ほど前、私が20歳代のころの思い出です、
私は、一人で出張しての仕事が多く、一ヶ月の勤務の内70%は宿泊出張勤務だったのです。
昭和40年前後の宿泊施設は、ビジネス・ホテルなどは皆無、出張で泊まる宿は昔からの日本式旅館でした。
出張で疲れた身体を癒すのに、 水 枕 が大いに役立つのです。
私の出張に携帯するバックには、必ず 水 枕 が忍ばせてありました。
仕事を済ませ旅館に帰って休む前、旅館の女将や女中さん、他の泊り客に知られないように
旅館の共有洗面所の流しで、 水 枕 を作る作業はスリルがあって結構楽しいものでした。
旅館の自分の部屋でリラックスして、 水 枕 で眠る甘美な心地よさは、
自宅では味わえない格別なものがありました。

・・・・・・・・・・

私が出先で仕事をしている間、お供の 水 枕 は、クリップを芯に折畳まれ、
バッグの中で夜の出番を待っているのでした。

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「 独占欲そそられる 水 枕 

私が未だ小学校低学年だったと思います。
私と弟が同時に風邪を引いてしまったのです。
弟は、私よりも高い熱を出していました。
当然、家には 水 枕 はひとつしかありません。
まだ、お隣にも 水 枕 がありませんでした。
扁桃腺炎の時、何時も私専用の様に使っている 水 枕 。
母は、熱が高い弟の方に 水 枕 を当てさせ、私には水で湿したタオルを当てて
「あなたは熱が低いのだから、これで我慢しなさい!!」と言いました。
私は、私専用の様な 水 枕 が、弟に使われる事に大いに嫉妬しました。
隣に寝ている弟が羨ましく、私の熱が何故高く上がらないのだろうか恨めしく思いました。
その後二日ほどして弟の熱が早く下がりました。
私の熱は未だ出ていたので、 水 枕 は私の元へ帰って来たのです。
私専用の様な 水 枕 、その 水 枕 が自分の元へ返った嬉しさは格別でした。

・・・・・・・・・・

 水 枕 には、独占欲をそそるものがある事を、その時知ったのでした。

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「 麻疹(はしか)残念 水 枕 

「 麻疹の熱は最初に冷やしてはならない 」
私が麻疹に掛かった、小学校3年生の時代(昭和23年)はその様に信じられていました。
身体に出る発疹を充分外へ出してやらなければ、悪影響が出ると言うものです。
熱が出たので 水 枕 をして貰えると大いに期待していた矢先の私、
往診に見えたお医者さんから「麻疹」と診断され、 水 枕 を当てて貰えなくなってしまいました。
私は、残念で寂しくて仕方がありませんでした。
 水 枕 を何時当てて貰えるのか、その日の来るのを首を長くして待っていました。

三日ほどして、発疹が身体全体に現れ始めました。
熱は下がりませんでした。
母は、発疹が出切ったので頭を冷やして上げようと、 水 枕 を当ててくれました。
私は嬉しかったのです。

当時は、麻疹に余病は付きものだった様でした。
母は、私が病弱だったので大変心配していました。
幸いに私は、肺炎などの余病を起こす事なく無事全快したのでした。

母は、とても安心してくれました。

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「 罰(ばち)を くれた 水 枕 

扁桃腺を腫らして出す高い熱は、数日間で下がり始めます。
熱が38度を下回ると、身体が楽になってこころに余裕が生まれるのです。

小学生の高学年になって、 水 枕 の心地よさに目覚めていた私。
私は、熱が低くなって余裕が出ると、耳元の 水 枕 を故意に揺らし、
 水 枕 のリアクションを楽しみ、その甘美な心地よさを味わって遊んでいました。
数日して、私の熱が微熱になると、母は決まって「熱が下がったから 水 枕 を外しなさい・・・」と
私に 水 枕 を外す事を促します。
 水 枕 は隣からの借り物、外せば、隣へ返されて仕舞います。
私は、心地いい 水 枕 を手放したくなくて、
母に、「未だ、頭が痛いから 水 枕 を借りて置いて・・・」と懇願するのでした。
すると、それを信じた母は、氷の入った冷たい 水 枕 を作ってくれたのです。
私は、水道の水だけのちょっとだけ冷たい 水 枕 でいいのにと思ったのですが、
母の作ってくれた氷入りの冷たい 水 枕 を無理に当てるはめになってしまいました。

真冬の寒い日でした。
無理をして冷たい 水 枕 を当てていた私は、本当に風邪を惹き添えてしまったのです。

その晩、39度を越す高い熱が出ました。
扁桃腺炎で弱っていた身体に、高い熱は本当に辛いものでした。
母を騙して、 水 枕 の罰(ばち)が当たった、苦い思い出です。

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「 咳をして  水 枕 

私が中学生に上がった冬の事です。
私は、何時もの扁桃腺の熱に続き風邪を引き添えて高い熱を出し、
一週間ほど 水 枕 で頭を冷やし、学校を休んでいました。
私は、風邪で喉を傷め咳きをしていました。
私は咳が出そうになると、息が弾んで無意識に身体が動くのです。
すると、 水 枕 が私の身体の動きを拾って「プカン・プカン」と鳴り、
私が咳をするより早く 水 枕 が先に咳をする事になるのです。
私は、面白くなって「クス・クス」と笑って仕舞いました。
笑って身体が少し大きく動くと、 水 枕 は、前にも増して更に大きな音で鳴るのです。

私は、本当に可笑しくなって大笑いしたくなり、身体が動くのでした。
すると、 水 枕 は、
前より増して更に大きな音で「プカン・プカン」と水を音を立てて鳴るのでした。

私の代わりに「咳をして、笑う様に鳴る 水 枕 」の思い出です。

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 水 枕 現 象出 」

今から30年ほど前の思い出です。
年数回開催される仕事の打ち合わせに出席した時の思い出です。

その打合せの議題は、今年度の業務推進計画策定が主な議題でした。
そこでは、今年度の新しい業務目標が示され、それに向けて各職場が如何に業務を推進して
行くかを協議します。
最初に統括責任者から、業務目標達成へ向けての留意点について説明がありました。

・・・・・

統括責任者は、
「主な業務推進目標5項目の内、各職場でメインの業務目標項目を定め目標を必達するよう努めて欲しい。
一つの目標の達成に力を傾注した結果、他の目標が伸び悩む、
いわゆる 水 枕 現象が起きない様特に留意して欲しい」
と力説しました。

・・・・・

 水 枕 現象の言葉が出た時、私の胸は高鳴りました。
私は思いました。
 水 枕 は、 水 枕 現象があるから 水 枕 らしいのだ。

しかし、「 仕事のためには、 水 枕 現象を起してはならない 」と自分に言い聞かせました。

私は、その年度の業務推進には自然に力が入った事を覚えています。

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「 妻めさせた 水 枕 

社会人になって、初月給で購入した待望の My 水 枕 の記憶は忘れられません。
その後の独身時代、 水 枕 に水道水を入れ、毎晩甘美で心地いい浮遊感を楽しんでいました。
お陰で健康で仕事も順調に進みました。
そして、結婚。
結婚前、彼女に、私が 水 枕 を毎晩の必需品にしている事は話していませんでした。
そのため結婚後数年は 水 枕 を当てないで就寝していました。
そして、私が30歳になった時鼻の病を患ったのです。
就寝中、大量の鼻血が出るのです。
主治医は、鼻血を予防するため 水 枕 で頭を冷やして就寝する事を奨めました。
私にとっては願ってもない出来事です。
 水 枕 が公然と使用出来るのです。毎晩公然と 水 枕 で就寝しました。

その後暫くして鼻の病は完治しました。
しかし、私は、 水 枕 を放す事が出来なく、妻には「鼻血予防」を口実に 水 枕 を使い続けたのです。
そして、妻には、私が 水 枕 を手放せない事を告げて説得、以降30年間、今までずっと
毎晩 水 枕 を当てて就寝しています。

妻は、そのような私に半ば諦めていて、水 枕 が古くなると、妻自ら新しい 水 枕 に買い換えてくれます。

こうして、今では毎晩公然と 水 枕 のお世話になり、心地いい浮遊感を楽しんでいます。

今後私は、命の尽きるまで 水 枕 を手放せないでいるでしょう。

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「 ウォーター・ベッド の 水 枕 体験  」

私は仕事柄、宿泊出張の仕事が結構多くありました。
宿泊出張には、必ず My 水 枕 をバッグに忍ばせて行きました。
宿泊する場所は、昭和50年後半からは、もっぱらビジネス・ホテルが主流です。
H市への出張では、「S・Hホテル(Hなホテルではありませんヨ))」に泊まっていましたが、
そのホテルには、「ウォーター・ベッド」の客室がありました。
お客様の好みで「ウォーター・ベッド」の部屋を予約出来仕組みになったいたのです。
私は、一度、「ウォーター・ベッド」で眠って見たくて、その部屋を予約しました。
何時ものとおり、持参している 水 枕 に水を入れ「ウォーター・ベッド」に置きました。
ところが、水を入れた 水 枕 は重いので、「ウォーター・ベッド」に沈んで枕の用をなしません。
考えた末、手頃なお盆が部屋にありましたので、それを 水 枕 の下に敷きますと、
 水 枕 が「ウォーター・ベッド」に浮んで、ちょうどいい高さになったのです。

・・・・・・・・・・

さて、「ウォーター・ベッド」と 水 枕 の組み合わせの相性と使用感は・・・。

「ウォーター・ベッド」は、私の呼吸などの僅かな身体の動きで、何時も水が揺らいでいる感じです。
その上の 水 枕 は、時折何かの拍子に大袈裟に揺らぎ大きな水音を立てる事がありました。
最初私は、若干の違和感を感じたが、その内慣れると「ウォーター・ベッド」の水を漕ぐ様な
気持ちになって、揺れを心地よく感じていました。

身体を少しでも動かすと「ウォーター・ベッド」の水が大袈裟に動き、それに伴って 水 枕 が揺れて
程よく鳴り 水 枕 が子守唄を唄ってくれている心地でした。

「ウォーター・ベッド」と 水 枕 が微妙に協調し合って揺れにあるリズムが生まれるのです。
正に絶妙な心地だったのです。

自宅では味わえない特別な「浮遊感」を体験した、H市への出張だったのです。

(注):現在、H市の「S・Hホテル」は、別の名前のホテルに変っているようです。

 
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 水 枕 とつでは 物足りない !!

普通 水 枕  きた 

私は、昭和59年から62年まで、転勤でT市へ単身赴任していました。
もちろん、My 水 枕 は持参しての単身赴任です。
私は、普段 水 枕 ひとつを毎晩使っていましたが、その内、 水 枕 ひとつでは物足りなく感じ始め、
 水 枕 を2枚重ねればどの様な心地がするのか試して見たくなりました。
早速、近くの薬局へ行って新しい 水 枕 を購入し、今まで使っていた 水 枕 の下に、
新しい 水 枕 を敷いて見たのです。

・・・・・

2枚重ねにした 水 枕 の使い心地は、実に絶妙でした。
夫々の 水 枕 の、水と空気の量と割合を程よく調節すると、
お互いの 水 枕 の水の揺れが協調し合い、独特の揺れと鳴り方をする。
水と空気の量は、若干少なめがいい様でした。
下の 水 枕 が揺れている間は、上の 水 枕 は余り揺れなくて、
逆に、上の 水 枕 が揺れている時には、下の 水 枕 が余り揺れません。
独特のリズムで、2枚の 水 枕 が協調・けん制し合って複雑に揺れて鳴るのです。
特に、寝返りを打つなど頭を動かした時には、 2枚の 水 枕 の空気の移動が
お互いの 水 枕 をけん制し合って、複雑なリズムで揺れ動き飽きる事がありませんでした。
私は暫くの間、不必要に耳元を揺らしては、 水 枕 の音とリアクションを楽しんでいました。
 水 枕 を2枚重ねた事による「グラ・グラ感」は水を少なめにすると殆ど感じません。

正に、新しい 水 枕 との付き合いの始まりだったのです。
夜が訪れるのが待遠しく、二枚重ねの 水 枕 の夜は実に愉しく幸せでした。

それは、私の単身赴任のストレスを解消し、無事単身赴任生活を乗り切る事が出来た
要因になっていたのです。

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「 更なる 水 枕 心地よさ を めて (1)

思 考 錯 誤  水 枕 

平成に入って、 水 枕 には保冷式でない、新しいタイプの 水 枕 が発売され始めました。
それは、ビニール製のバッグに水を入れて使用する「ウォーター・ピロー」の 水 枕 です。
その頃の私は、T市の単身赴任から解放され家族との暮らしに戻っていました。
そのため、家族の前で2枚の 水 枕 を重ねて使う様な非常識な真似は出来ません。
しかし、私は単身赴任時代味わっていたふたつ重ねの 水 枕 の心地を取り戻したかったのです。

私は、発売されたばかりの「ウォーター・ピロー」 に、従来の 水 枕 を重ねて使う事を考えていました。

早速、新しいタイプの「ウォーター・ピロー」を購入しました。
その「ウォーター・ピロー」は、意外に大きく厚みがあり、水、3リットルが適正量でした。
私は、その「ウォーター・ピロー」を下枕にして、従来の 水 枕 を重ねて使って見たのです。
結果は、従来の 水 枕 2枚重ねより、ずっとダイナミックで快適、心地がよかったのです。
私の耳元全体が、 水 枕 に豊かに包まれる快適さ、ゆったりとした浮遊感、
従来の 水 枕 では味わえない心地いいダイナミックな浮遊感だったのです。
私は、この組合せの 水 枕 が放せなくなってしまいました。

現在でも、この 水 枕 の組合せを基本にした 水 枕 を使っています。
ちなみに、この時の新しいタイプの「ウォーター・ピロー」の商品名は、「ウォーターピロー・マザー
アクア」です。
この「ウォーター・ピロー」は、三つのウォーター・バッグで構成され水の動きが制限されています。
私は、ビニール袋の水口を一旦取って、そこからハサミを入れ中のビニールの仕切りを切断、
ビニール接着剤で水口を元通りに接着、ワンボックス化して使いました。
これにより、水の動きの自由度が増しダイナミック感が更に向上しました。

それからの私は、更に豊かで心地いい 水 枕 を求めて、試行錯誤を始めるのでした。

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「 更なる 水 枕 心地よさ を めて (2)

 理想 水 枕 追求 

平成10年を過ぎた頃だったと思います。
インターネットで「メディフロー・ウォーターベースピロー」の記事を見ました。
そのページには、次の様な説明がありました。
・・・・・・・・・・

水の層が頭・首・肩をやさしく支える水の快眠枕!
枕を自分にフィットさせ、ウォーターベットの寝心地のように気持ちいい枕で朝までぐっすり。
・・・・・・・・・・

「ウォーターベッド」で 水 枕 を体験している私、その心地よさを試したくなりました。
早速、「メディフロー・ウォーターベースピロー」を購入。
「メディフロー・ウォーターベースピロー」には、枕の下側に 水 枕 があり、
その上に特殊繊維の「ふわふわ」の枕が乗せてあります。
本来は、特殊繊維で出来た側を上にして使用する様作られていますが、
私は、「 水 枕 」側を上にして、従来の 水 枕 を乗せ感触を確かめました。
その感触は、先の「ウォーターピロー・マザーアクア」と殆ど変わらないものでした。
私は、期待を裏切られた様で大変残念に思いました。
しかし、諦めないで、念のため「メディフロー・ウォーターベースピロー」の水を少な目にし、
同じく水を少な目にした「ウォーターピロー・マザーアクア」をその上に重ねてテストして見ました。
そして、更にその上に従来のゴム製 水 枕 を乗せ感触を確かめて見たのです。

結果は、私の期待を上回る心地いい感触を得る事が出来たのです。
感触は自然で豊かで実に素晴らしいものでした。
・・・・・・・・・・

一番下の「メディフロー・ウォーターベースピロー」がボトム。
中間の「ウォーターピロー・マザーアクア」がインナー。
一番上の耳元が当たる部分が、従来の「ゴム製 水 枕 」で構成されています。
それぞれの 水 枕 が協調し合って私の耳元を支えてくれます。
ここに、豊かで自然な心地よい感触の 水 枕 の原型が完成したのでした。
・・・・・・・・・・

 水 枕 に「豊かな心地よさ」を求めるには、
 水 枕 に或る程度の質量が必要である事を発見したのです。
私は、数年前からこの 水 枕 の組合せを使って就寝していました。
・・・・・・・・・・


写真は、つてテストしてきた「 我理想 水 枕 原型です

見えているゴム製 水 枕 は、「ダンロップ・ボックス型 水 枕 」。
約8ケ月使用して程よく馴染んだ 水 枕 は、内部の「安定用ゴム柱」を、切断・撤去してあります。


ボックス型 水 枕 を乗せている枕は、「メディフロー・ウォーターベースピロー」に 「ウォーターピロー・マザーアクア」を重ねたものです。

ダンロップ・ボックス型水枕
 
オカモト・クッションみたいな水枕
上の写真は、ボックス型 水 枕 の下のカバーを取ったところ。 「ウォーターピロー・マザーアクア」の 水 枕 部分に、ボックス型 水 枕 を重ねています。 一番下の台の部分が、枕カバーに入った「メディフロー・ウォーターベースピロー」。 個々の 水 枕 には、底付きしない程度に少な目の水を入れ、適量の空気を残しています。 水 枕 全体の重量は、10Kg超過、可なり重い。 それぞれの 水 枕 の重量と水の量は次のとおりです。
下 枕  メディフロー・ウォーターベースピロー重量 5Kg水の量 3.5リットル
中 枕  ウォーターピロー・マザーアクア重量 3.5Kg水の量 3リットル
上 枕  ゴム製ボックス型 水 枕重量 2Kg水の量 1.5リットル
なお、一番下の「メディフロー・ウォーターベースピロー」を裏返して 水 枕 部分を下にして使用すると、異なった 水 枕 の感触を味合えます。 私は、 水 枕 の感触に慣れて物足りなくなると、 「メディフロー・ウォーターベースピロー」を裏返し、新鮮な 水 枕 の感触を楽しんでいました。 なお、 水 枕 を重ねた事による「ぐら付き感」は、台の 水 枕 が重く、 しっかりしているので気になりません。 使用感は、「しっかり」して豊かな柔らかさがあり、水に抱かれ沈み込む感じの浮遊感は絶妙です。 水 枕 の当て方によっては、可愛い水音で程よく鳴ってくれ誠に嬉しい次第です。 耳元に触れる「ゴム製 水 枕 」が使い込まれ馴染む程に、更に心地よい絶妙な感触が味わえます。 ゴムが馴染んで伸びて、廃棄する寸前が使い心地最良の状態、 まことに皮肉な 水 枕ではありますが・・・。 水 枕 生活・半世紀、やっと到達した理想 水 枕 原型でした
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「 更なる 水 枕 心地よさ を めて (3)

しかし、この 水 枕 の組合せには、欠点がありました。
それは、オカモトのゴム製 水 枕 のゴムには、頭の脂に劣化し易い欠点があったのです。
私は脂性で、睡眠中頭から多く汗をかき、その脂分でゴムが劣化するのです。
 水 枕 使用後は、毎朝中性洗剤でよく洗うのですが、オカモトの 水 枕 は半年で
ゴムが劣化してしまいました。
そのため、ホスピタル仕様のオンリーワン 水 枕 をシリコン・ゴムシートで覆って使用していました。

写真、過去にテストした 水 枕 です
そして、台になる下の 水 枕 にカバーを掛けた状態です。 オンリーワン・ホスピタル仕様の 水 枕 は、ゴムの肉厚が薄く柔らかで、 フィット感に優れています。(その分、ゴムの劣化が早い事が考えられますが・・・) 中間の 水 枕 には新たに「RAVI・ウォーターピロー」を導入して、 使用感・耐久性などについてテスト・評価をしていました。
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みずくら(追加版)


増築した二階洗面台設備した、本当理由

昭和45年当時、我が家はO市郊外の平屋4DK戸建て住宅に、我々夫婦と両親が住んでいました。
私たち夫婦に、二人目の男の子が生まれたのを機会に二階を増築する事にしました。
二階は、6畳和室2間に夫々の部屋の縁側と廊下を設け、10坪の間取りの設計としました。
奥の6畳の和室は、我々夫婦と子供たちの寝室に当てる予定でした。
その部屋の南の幅1間の縁側には、洗面台を設ける設計にしました。

この洗面台を設備するかどうかで、両親との間に賛否両論がありました。
両親は経費が嵩むので「必要ない」と否定論。
しかし、私は、風邪を引いて寝込んだ時などに洗面台があると、顔を洗ったり色々便利だからと賛成。
結局、施工大工さんの推薦もあって洗面台を設ける事になったのです。

・・・・・・・・・・

実を言えば、洗面台を設備した「本当の理由」は・・・。
「私たち夫婦の寝室に洗面台を設備すれば、 水 枕 を作るのに便利」だからなのです。
私は、常に「如何にして 水 枕 にあり付くか?」を常に考えていたのでした。
それが、二階に洗面台を設けた「本当の理由」だったのです。

この事は、私以外は誰も知らない、「二階に洗面台を設けた本当の理由」なのです。

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みずくら(追加版)


 水 枕
私は、時々 水 枕 の夢を見ます。 水 枕 の夢を、何時頃から見始めたのか覚えていないのですが、 若い頃から見ていた覚えがありますので、相当前から見ているのではないかと思っています。 さて、その 水 枕 の夢の中身は・・・ 細かい夢のストーリーは、見る時によって若干異なるのですが、ほぼ同じ傾向を持つ夢なのです。 それは、私を含めた団体で旅館に宿泊している夢なのです。 団体の中では、私だけが何故か 水 枕 を使って就寝する事になるのです。 団体は、夢を見る時によって職場の同僚の団体であったり、親族の寄せ集め集団だったり、 見ず知らずの寄せ集め集団だったりします。 私は、団体の中で一人だけ 水 枕 で寝る事に大変恥ずかしい思いをしているのです。 私は、寝床で一生懸命 水 枕 を隠して眠っているのです。 しかし、私が 水 枕 を隠そうとしますが、どうしても 水 枕 は隠れてくれません。 何故か 水 枕 は、独りで「タプ・タプ」と勝手に人前に現れて仕舞うのです。 私は、一生懸命 水 枕 を隠そうとします。 私は、近くの人に何故私が 水 枕 をしなければならないか言い訳を始めるのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 誰か、私の「 水 枕 の夢」の「夢判断」をしていただきたいのですが・・・。
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みずくら(追加版)


 水 枕 交 換
半世紀以上前、私が10歳のころ扁桃腺を腫らして熱を出し 水 枕 を当ててもらった時の思い出です。 私は、 水 枕 が冷たくなくなると、母に 水 枕 の交換を告げます。 母は、「ハイハイ」と言って、笑顔で私の耳元から 水 枕 を外し、代わりに枕元の「ソバ殻枕」を 私の耳元に差し入れ、 水 枕 を流し場へ立ち去ります。 私は、この時の「ソバ殻枕」の感覚が今でも忘れられません。 それは、今まで当てていた 水 枕 のタプンとした柔らかな感覚が残る耳元に、 「ソバ殻枕」の「カチン」と固くて暖かい違和感が、妙に物足りなく寂しく感じるのでした。 私は、冷たくて心地いい新しい 水 枕 の到着を首を長くして待つのです。 ・・・・・ 程なく流し場から、母が 水 枕 を作る音が聴こえます。 私の熱が39度を超えて高い時には、 水 枕 に氷を入れてもらえます。 買って来た一貫目の氷ブロックから、ピックで氷の欠片を「ガシャ・ガシャ」砕き取る音。 砕いた氷を「ざる」に集める音。 集めた氷を 水 枕 へ「コボ・コボ」入れる音。 水 枕 へ水を注ぐ篭もった水の音。 そして、締め金具が「ガチャ・ガチャ」鳴って「キュ・キュッ」と 水 枕 が留められます。 最後に、 水 枕 が拭かれる時「タプ・タプ」鳴るかどうか、私は耳を澄ますのです。 水 枕 を拭う時に、空気が残されていて 水 枕 が鳴る音が好きでした。 新しく作られる 水 枕 がよく鳴ってくれる様に祈っていました。 しばらくすると、タオルに巻かれた新しい 水 枕 が耳もとに到着します。 母が 水 枕 を置く時の 水 枕 が「ジャラ ジャラ」鳴る音も好きでした。 水 枕 の氷と水が音楽を奏でる様に心地いい音で鳴るからです。 ・・・・・ 私が 水 枕 に頭を乗せると、母は決まって熱を診るため私の額に手を当てました。 すると、 水 枕 は揺れ「プカン・プカン」と音を立て、ひとつ目フックを揺らします。 この時の私は、 水 枕 の音が好きな反面、妙に照れくさく母の顔が眩しかったのです。 母は、私の気持ちを察する様に「早く熱が下ってくれなければね・・・」と言って微笑んでくれました。 私がうなずいて、「うん、ありがとう・・・」と言うと、 更に、 水 枕 が「プカン・プカン」と音を立てて鳴るのです。 その時の母が替えてくれた 水 枕 は、特別よく鳴るのでした。 水 枕 がよく鳴って嬉しかった反面、 水 枕 が鳴る音を母親に 聴かれる事が恥ずかしく、熱で火照った頬が更に火照って、それを見られるのが更に恥ずかしく、 私が寝返りを打つと、更に 水 枕 は大きな音で鳴るのでした。 私は大いに照れくさくなって、思わず布団をかき上げて顔を隠してしまいました。 水 枕 は、一層大きな音で「プカン・プカン」と鳴っているのでした。 後ろで、母親の「くすくすっ」と笑う声が聴こえたような気がしました。 ・・・・・ 39度の高熱は辛かったのですが、熱が少し下がってからは 水 枕 を揺らし 水 枕 を鳴らしては水の音を楽しんでいた事を忘れていません。
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みずくら(追加版)


りで 水 枕 不思議
水 枕 は時に不思議な生態を見せます。 その一つは、「独りで 水 枕なのです。 それは、 水 枕 に入れる水と、残す空気の量にある条件が満たされた時、突然に現れます。 私が、身体を動かさず静に眠って居る時、突然 水 枕 が独りで「コポッ!・ポコリ」と鳴り始めます。 本当に私が身体を全く動かさないで静に眠って居てもなのです。 水 枕 は何時も一度に「コポッ!・ポコリ」と二つの水音を立て、時には相当大きな音で鳴ります。 そして、鳴り始めると、或る時間間隔を置いて一定のリズムで鳴り続けます。 水 枕 が鳴ると内の水が跳ね、水は 水 枕 のゴム越に私の頬を軽くノックして、 そのショックは意外に強く驚く事があります。 私は、何故 水 枕 が独りで鳴り出すのか不思議で溜まりませんでした。 この様子については、向田邦子 著・思い出トランプ「耳」や福田信三著・童謡「水まくら」に 巧みに表現されて書き表されています。
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みずくら(追加版)


揺れる大型フェリー「さんふらわあ・きりしま」での 水 枕 体験

平成13年秋、私と家内は鹿児島観光のツアーに参加しました。
3泊4日の旅ですが、ホテルでの宿泊は1泊のみ、2泊は船中泊です。
午後6時、大阪南港を出港して船中泊、翌朝9時に九州・志布志港へ接岸します。
桜島を観光、鹿児島市内を通って知覧を見学、開聞岳を観光してその日は指宿温泉のホテルに宿泊しました。
翌日は、指宿温泉から鹿児島市内の焼酎工場を見学、霧島神宮へ参拝、志布志港から大阪南港へ向けて帰途に
着きます。

大型フェリー「さんふらわあ・きりしま」の船室は、往復共にツインベッド個室のデラックスBを予約しました。
フェリーは、12,000トンの大型フェリーだけあって乗船して船室に入ると船の感覚がありません。まるで、
ホテルの様です。
往路の大阪南港から九州志布志港までは、黒潮の流れを避けて陸の近くを航行するので、揺れは余りありません。
しかし、復路は、黒潮に乗って速度を上げて航行するので、揺れが可なり気になりました。
船の揺れは、ローリングとピッチングそれに上下動です。
ベッドに横になっている場合、身体に対して横の揺れと上下動は余り気になりませんが、問題は、身体に対して
縦、即ち身長方向に揺れる揺れです。
頭が下がる時に血液が頭に集る様で余り気持ちの良いものではありません。

私は勿論、このツアーにも 水 枕 持参でした。
往路は、船室の洗面所で 水 枕 に水を入れ船室のベッドで熟睡しました。
復路も 水 枕 を使ってベッドに横になっていたのですが、フェリーが揺れ始めると
 水 枕 が面白い現象を呈し始めたのです。
その現象は、フェリーが身体の横方向に傾く時( 水 枕 では縦方向)に現れました。
 水 枕 の空気が、フェリーの揺れで「トクン・トクン・トクン」と音を立てながら
少しずつ移動するのです。
その都度、 水 枕 は、ひとつ目フックを「プルン・プルン」と揺らせます。
船が身長方向へ揺れる時には、 水 枕 に変化は殆どありません。
「さんふらわあ・きりしま」は大型フェリーですから、横揺れ方の周期は相当長いものです。
その長い周期に合わせて 水 枕 の水が鳴る様は、正にウイスキーをボトルから
注ぐ音そっくりでした。

私は、カバンから持参していた700mlの「ローヤル」15年もののウイスキーを取り出しグラスに注ぎました。
ボトルは 水 枕 と同じ音を出しながら琥珀の液体をグラスに満たして行きました。
船のローリングに合わせながら最初に口にした、ストレート「ローヤル」15年もののウィスキーの味は格別でした。
独特の芳醇な香りと味が口一杯に広がります。

大型フェリー「さんふらわあ・きりしま」の、 水 枕 とウイスキー体験の楽しい
思い出でした。


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みずくら(追加版)


西東三鬼 水 枕 俳句
私は、小学校5年生の第1学期の終わりまで、本籍のある岡山県東部の田舎の小学校にいましたが、その 7月下旬、父親の都合で、岡山市内の小学校に転校しました。 その頃の私は身体が弱く、しょっちゅう扁桃腺を腫らしては高い熱を出して学校を休んでいました。 熱を出すと、母は、その自分我が家には持ち合せていなかったゴム製 水 枕 を隣の家から借りて、 冷やしてくれました。 しょっちゅう私が熱を出すので、隣の家の 水 枕 は、私専用の様な存在だったと思います。 優しくふわふわした感触の「たぷ・たぷ」鳴るゴムの 水 枕 は、何時の間にか私の守護神的な存在になって いました。 健康な時にも、耽美な「たぷ・たぷ」なる優しい感覚のゴムの 水 枕 の感触が忘れられなく、私のこころから 水 枕 の事が離れない状態になっていたのです。 転校すると、殆どの教科書が変わってしまいました。 国語の教科書も新しい小学校の教科書に変わっていました。 転校出続きを終わると、既に夏休みに入っていましたが、学校が変わっていましたので宿題はありません。 私は、新しい教科書を眺めていましたが、国語の教科書のある部分に目が留まりました。 それは、西東三鬼の俳句・「 水 枕 ガバリと寒い 海がある」だったのです。 その内容は、国語の教科書の後半部分に載っていました。 私は、とっさに、二学期後半に勉強する部分だと思い、こころがときめきました。 「何時、その授業が訪れるだろう」、私はその事でこころが一杯になりました。 国語の授業に西東三鬼の俳句あったのは、私が熱を出し 水 枕をしてもらって休んでいる間の事でした。 私が元気になって登校した時には、その授業は終わっていたのです。 今思い出しても本当に残念な、60年前の出来事でした。
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