みずくら水 枕こころ博物館

「西東三鬼・俳句 水 枕 ページへようこそ

 水 枕 クリックしてお入さい。
↓↓↓
ここが「思い出」への入り口です。クリックしてお入り下さい

 


不意発熱などを
 水 枕 やす

 水 枕 の作り方・使い方
 水 枕 の医学的効果
こども救急総合ガイド
その他の項目へ

クリックして、大きな画像へ
まえがき 総合目次
 


熱帯夜など
寝苦しい安眠対策

安眠用 水 枕 の作り方・使い方
 水 枕 の乾燥・保存方法
ゴム製 水 枕 
その他の項目へ
私・みずくら 水 枕 生活日記 メニュー (お願い) お気付きの点がございましたら、メール でお知らせ下さい。 表示文字の大きさは、「」に 設定 してご覧下さい。
みずくら





















西東三鬼・俳句 水 枕「ガバリ」考

 水 枕  ガバリと寒い 海がある
ここは、西東三鬼の「 水 枕 」の俳句を考えるページです。

三鬼関係写真ページ


三鬼・考 水枕 俳愚伝抜粋 墓参記 毎来寺・版画

 水 枕 こちらから 保存法こちらから Q&Aこちらから

目 次 みずくら 

























清水崑の描く西東三鬼の似顔絵
清水崑の描く似顔絵



西東三鬼関係写真


ページへようこそ



歯専卒業当時の西東三鬼の肖像写真
歯専卒業当時の三鬼
 

西東三鬼直筆の「水枕の句」短冊
自筆・水枕の句短冊
 

津山市の西東三鬼の生家の写真
津山市の三鬼の生家
 

西東三鬼の俳句原稿
三鬼直筆の俳句原稿
先 頭 みずくら 目 次


























水 枕  ガバリと寒い 海がある

西東三鬼・俳句 水 枕「ガバリ」考


西東三鬼(さいとうさんき)は、明治33(1900年)岡山県津山市に生まれた歯科医。
本名は齋藤敬直(さいとうけいちょく)
三鬼は患者達のすすめで俳句を始めました。
この時から使用したペンネームが「三鬼」で「サンキュー」をもじったものと
言われています。
35歳で代表作の 水 枕 の句を発表し新興俳句の有力な作家として認められました。

岡山県津山市のホームページ
  津山お国自慢より引用させていただきました。

三鬼の主な句には以下の句があります。

水 枕 ガバリと寒い 海がある
算術の 少年しのび 泣けり夏
緑陰に 三人の老婆 わらへりき
昇降機 しづかに雷の 夜を昇る
中年や 遠くみのれる 夜の桃
おそるべき 君らの乳房 夏来る
  広島や 卵食ふ時 口開く
大寒や 転びて諸手 つく悲しさ
暗く暑く 大群集と 花火待つ
冬に生れ ばつた遅すぎる 早すぎる
秋の暮 大魚の骨を 海が引く


水 枕 の句について三鬼は、著書「俳愚伝」の中で次の様に書き表しています。

   その翌日、大森の茅屋で、私は病に倒れた。
   肺結核の急性症状で、発熱40度であった。それからの高熱の毎日、毎夜、私は夢現の境をさまよった。

   水 枕 ガバリと 海がある

  という句が、その頃のある夜、ひらめきながら私に到来した。
   この句を得たことで、私は、私なりに、俳句の眼をひらいた。同時に、俳句のおそるべき事に思い
  いたったのである。

更に、次の様にも記しています。

   しかし、私は仲々まいらなかった。私はすでに「 水 枕 」の句を得ていた。あの句の内容は、現実の
   水 枕 と、夢幻的な 水 枕 と、寒い海が結びつき、そこに暗い死をみたのであるが、 水 枕 という
  体験的な具象物がなければ、現れて来ない世界である。

先 頭 水枕 俳愚伝抜粋 毎来寺・版画 墓参記 みずくら 目 次 

























   
 西東三鬼何処療養し、「ガバリ」鳴 水 枕 は、
り、看病していたのでしょうか。
三鬼は、この俳句を詠んだとき肺結核の急性症状(三鬼著・俳愚伝より)で40度を超える高熱を< 出していました。 三鬼は、それからの毎日、毎夜、熱にうなされ夢現の境をさまよっていたのです。 無意識の内に寝返りを打つと、当てていた水枕が「ガバリ」と鳴りました。 三鬼は、「カバリ」と鳴った冷たい水枕に北の寒い海を覚え、その現実を率直に俳句に詠んだのです。 三鬼が新興俳句に目覚めた瞬間だったと俳愚伝に表されています。 更に、俳愚伝の中で「この句を得る事によって俳句に眼をひらいた」とも記しています。 病で荒(すさ)んだ三鬼の精神状態が巧みに詠まれていて読む人の心を動かします。 水枕の俳句は、小学校の国語の教科書にも掲載されています。 高熱に火照った身体に、冷たい水枕は気持ちのいいものです。 水枕に寒い海を感じた三鬼も、水枕の心地よさに癒されたものと思います。 ここで、三鬼の当てていた「ガバリ」鳴る水枕を誰が作ったのか考えて見たいと思います。 一説には、「後に神戸で同棲する看護婦の女性が、懸命に看護をした」様なのですが、私は、違った 見解を抱いています。 三鬼の当てていた水枕には、かなり多くの空気が残っていたものと思われます。 そのため、寝返りで水枕空気が動いて 水枕が「ガバリ」と大きく鳴ったのです。 プロの看護師さんが作る水枕は空気が除かれているのが普通と考えられますので(看護教程)、 三鬼が寝返りを打っても水枕の中で氷の触れ合う「カシャ・カシャ」と言う音は聴こえますが、 水枕の水の中を空気が移動する「タプ・タプ」「ガバリ」などの水音はしないはずです。 三鬼の当てていた「カバリ」音のする水枕は、看護関係以外の素人が作った不用意にも空気の沢山 残ってしまった水枕だったのではないでしょうか。 三鬼は、きっと、自宅で奥様に看病され、奥様が作った水枕を当てていたのではないかと思われます。 俳愚伝には、この時三鬼が病院に入院していたと言う記述はありません。 三鬼の経済状態では入院治療は不可能な状況、東京大森の自宅で療養をしていたものと思われます。 この頃の三鬼は、俳句に没頭して家庭を顧みず奥様の苦労は計り知れません。 それでも奥様は、三鬼を懸命に看病なさっていたと、私は考えるのです。 三鬼の当てていた水枕は、奥様が心を込めて作った水枕だったのでしょう。 私は、その様に思いたいのです。 なお、この水枕の俳句の解釈では、インターネットで次の様な解釈を発見しましたので、 別ページ に掲載<して置きました。
   
   
先 頭 俳愚伝抜粋 「三鬼 水枕」グーグル 検 索 目 次 みずくら























   



水 枕 ガバリと寒い 海がある  西東三鬼


昭和10年の冬のある日、三鬼は、肺結核を発症し、四十度の高熱に魘され、毎日、毎夜、
死線の境をさまよいました。
熱に浮かされた頭を冷やす 水 枕 が、何故、寒い海へと飛躍するのか。
この場合の、寒い海は「死海」を意味します。三鬼は熱に浮かされながら、夢の中で、
その熱で溶けた 水 枕 の氷が砕ける音が聞こえたのだと思います。
そこから夢は寒い冬の海に直結してしまい、驚いた三鬼はガバリと起き上がります。
俺はまだ生きていた、という感じでしょうか。
死線をさまよって目覚めた経験を持つ人から話を聞いたことがありますが、その人は、
ぼんやりと目覚めたといいます。
周りの人が、その人の名前を呼んでいるけれど、自分は言葉を発せない、そのもどかしさが
段々と膨らんで、あゝ自分は生還したのだと思ったといいます。
三鬼が、ガバリと起き上がれた(あるいは起き上がったと感じられた自分)ということは、
寝ている間に体力が回復しているか、よほど強い生命力を心中に持つ人だったのでしょう。
熱が出ると、昔はすぐに 水 枕 が用意されました。
微熱なら水だけを入れ、高熱の場合は氷を入れました。
それは日常の生活用具そのものでした。
この即物的な 水 枕 を、ガバリという擬態語を間に挟んで、死の海という超絶の世界、
非現実的な心象風景へと変容を遂げているところに、この句のただならぬ世界があります。

この 水 枕 の俳句の解釈は、この ホームページから引用させていただきました。
 
   
   
戻 る 目 次 みずくら























   

明治43年刊行・日本赤十字社編纂 乙種 看護教程

氷嚢は空気を除き口を締める・・・氷枕の用法はこれに準じる・・・旨、説明されています。


戻 る 先 頭 目 次 みずくら
  






















毎日新聞社発行 西東三鬼著「冬桃」


昭和52年発行「冬の桃」表紙


次 へ 水枕 先 頭 目 次 みずくら





















毎日新聞社発行 西東三鬼著 「冬桃」


「俳愚伝・3 わが俳句開眼」より(1)

次 へ 表紙へ 水枕 先 頭 目 次 みずくら





















毎日新聞社発行 西東三鬼著 「冬桃」

「俳愚伝・3 わが俳句開眼」より(2)

前 へ 表紙へ 水枕 先 頭 目 次 みずくら





















西東三鬼墓 参 記

私・みずくらは、2,008.03.15、岡山県津山市の成道寺にある西東三鬼の墓を墓参しました。

成道寺は、慶長9年(1604)に津山(美作)藩主・森忠政が建立したお寺。本尊は阿弥陀如来です。
境内の本堂脇には檀家の墓が数多く建てられていて、その中程に「西東三鬼の墓」があります。
墓石には「水 枕 がばりと寒い 海がある」の句が刻まれています。

写真は、成道寺山門、西東三鬼の墓の全景、墓石の様子など。

 
  

 

 
  

 

案内図 先 頭 目 次 みずくら




























成道寺アクセスのための地図掲載します。


墓参記 先 頭 目 次 みずくら






























西東三鬼など俳画版画名高毎来寺ご紹介。

岡山県真庭市目木(旧・久世町目木)にある、曹洞宗・毎来寺の住職岩垣正道和尚は、
俳画を中心に幅広く版画を制作されておられます。
住職は、1,941年鳥取県鳥取市気高町のお生まれ、1,976年毎来寺に着かれました。
版画は、1,977年から手掛けられ、1,983年岡山県民芸協会に入会、
1,996 1,997 1,998年のニューヨーク個展、1,999年三回目のイギリス展、
国内各地での個展と、幅広い活動をなさっています。
住職のお話によりますと、種田山頭火、西東三鬼の俳句がお好きで、
作品にはそれらの俳画が多くを占められています。
なお、毎来寺の本山は、ご存知、福井県は 永平寺 だそうです。

  
クリックして大きな画像へ
曹洞宗・毎来寺 山門
 
 
クリックして大きな画像へ
版画の説明をする正道住職
 
  
  
クリックして大きな画像へ
曹洞宗・毎来寺本堂格天上に納められた版画
 
 




クリックして大きな画像へ
西東三鬼・水枕の俳画絵はがき
  
先 頭 目 次 みずくら
























inserted by FC2 system